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■Vol.05 横浜市立本町小学校 副校長 永池啓子先生のスパイス(2)

PISA型「読解力」 その指導のあり方、考え方 A
(聞き手:次世代教育事務局 齊藤・加藤)

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「読解力」の捉え方

インタビューの様子 永池   私が昨年、全国から指導主事が400人ぐらい集められて、筑波大学で読解力向上・指導力養成のための研修を受けました時に、一番気にかかったことをお話します。子どもたちが社会に出て一番求められるのは、報告書などの説明的文章を書くことですよね。気持ちよりも、どういう経過で何が成されたのか、事実をきちっと報告できる(説明できる)ことが求められるんです。でも実際は、それを書く力がついていない。何で学校教育の中でそれをきちんとやってくれないんだ、なんで社会に出てからそこを教えなきゃいけないんだ、という声があったんです。仕方がないことなんですね。学校教育ではそういう訓練をしていませんものね。

 これから文科省は、説明文であるとか報告文であるとか物語文であるとか、求められる様式に応じてきちっと書ける力をつけていくように持って行くでしょう。次期の学習指導要領に向けては、そういう方向になると思うんですね。また、読解力というのは、国語科だけでつけるものではないんですね。文科省で次期学習指導要領の説明があった時、算数部会、理科部会などあったんですが、その中であえて私たちは読解力部会というのを設けたんです。なぜ国語部会にしなかったのかというと、読解力というのは全教科を通じてやるものと考えたからです。例えば理科で、観察記録を書きますでしょ。実験であれば、目的があって、実際に実験をやった結果があって、わかったこと・考察がありますね。結果のところには自分の感情など入れないで、何センチだったとかどういう変化をしたとか、事実だけを書いていった方が分析が出来ますよね。結果のところには、短い文で端的に、結果の数字などを入れて書いきます。そしてわかったこと・考察の中に、その結果を用いて自分がどう考えたか、あるいは新たにやりたいことなどを書くんです。そういう型の中で、どう書いたらいいのか。まさしく理科の中にも「読解力」はあるわけなんです。国語の中で書く「観察記録文」だけで育てるのじゃなくてね。もし国語の時間に「観察記録文」を書いたら、その力が理科の学習の中でも生きているかどうかを、特に小学校の中では両方を見ていったらいいわけですよ。理科の中でその力が足りないと分かれば、また国語でやるとかね。国語力には、全教科をまたいでつけられるものと、国語科の中でつけなければいけないものがある。私たちはそれをきちっと把握してあげて、子どもたちに全教科領域の中で読解力あるいは国語力をつけていくんです。

 話し合いもそうですね。二人で話せる力、三人で話せる力、それが全体になる力というのがある。それは他の教科の中でも生かされているんです。そういうことを教師たちがもっと考えていかないといけない。つまり、繰り返されて系統的に反復されてはじめて力になっていくと思うんです。

 

面白さを感じさせる視点

インタビューの様子 永池   国語授業の導入にも様々な入り方がありますよね。自分の授業実践としてお話したいのですが、内容の解釈を学習するときに、すぐに「面白いところはどこでした?」「一番心に残ったことは?」とやるわけですね。「面白いところが最初からあるんだったら、子どもたちは読むでしょ。」これは大村先生がおっしゃったことですが、ここに私たちがもっと学んでいかなくちゃいけない課題があるんです。そうですよね。子どもたちには面白いと感じられる力がまだ育ってないから、読めないんです。そもそも読めない子に福澤諭吉の本などを提供しても読めないんだ、と。フィンランドで特徴的なのは、もちろん内容の解釈も授業で訊きますが、どんどん読んで聞かせるんですって。耳から入るんです。いわゆる価値の高い文章というものを、「読めない!」で終わらせず、教師がどんどん読んであげて、その世界を広げてあげる。それはとっても大事なことなんですね。夏目漱石の文章が教科書から消えたということがありますが、そういうものだって、わからないからと読まずに終わるのではなく、読んで聞かせることで耳から入っていく方法もあるだろうと思うんですね。私たち教師はすぐに、面白いところはどこ?一番心に残ったことは?何を話し合いたい?と聞いてしまうんですが、そこには大きな課題があると思います。私たちは、面白さを感じさせるような視点を子どもたちに与えなければいけないんです。

 

一人ひとりの受け止め方の違いを認める

- 子どもたちが面白さを見つけるための手立て…。大村先生は、個人個人、本当に丁寧にそれをやって行ったんですね。

永池   そこで大切なのが教材研究になると思うんですね。私がお話したいのは、大村はま先生のおっしゃるところの手引きなんです。あの子とかこの子とか子どもたちを思い浮かべながら、こういう投げかけをすると、きっとあの子は面白いところを発見してくれるだろうな、自分で感じたことを発見してくれるだろうな、と考える。いわゆる子どもへの呼びかけなんですよね。エルマーシリーズの場合、授業の中で「エルマーの勇気は?」「知恵は?」あたりなら現場の教師も訊きますが、大切なのはその下の言葉ですね。「エルマーは怖いだろうなぁ…でも辛抱強いなぁ…私だったら逃げ出したくなるよ。」と思うところに、この色の付箋紙を貼ってごらんなさいとか、「思わず笑い出しちゃいそう。」とか、「ライオン、可愛い可愛い!」とか、そんなところにはこの色を張ってみなさい、とかね。面白いところを発見できない子というのは、こういう見つけ方・感じ方を知らないんだと思うんです。だからそのあたりを手引きしてあげると、もっともっと探したくなる、見つけたくなる、見つけたら付箋紙を貼っていく…。ここで狙うのは、一人ずつ感じ方が違うよ、考え方が違うよ、面白いな…じゃぁ他の本も手にとってみよう!という流れです。これがいろいろな読み物を自ら進んで読むということに繋がるんですよね。

- そういうことが大事だと、大村先生もしきりにいろんなご本で書かれていますよね。みんなで考えて、友達の意見もいいな、素敵だなと感じたり…寛容性を身につけるとか、そういうことも当然必要だと思いますよね。柔軟な姿勢や優しさにつながっていったり、人を認める力にもなっていくんですよね。

永池   そこを教師も狙うわけでしょ。私たちがわかる授業、わかる授業といっても、子どもたちは授業の中でなにがわかるようになったかがわからない。子どもにはちゃんと言ってあげたほうがいいと思うんです。たとえば、「感じ方ってひとりずつ違うよね。今日はひとりずつ違うってことを、どれぐらいみんなが発見できるのか、それを今日の1時間の中でやろうね。友だちが自分と感じたことと違うってことをいっぱい見つけられたら、それが出来るようになったっていうことだよ。これが今日の目あてだよ。」と言うんです。これは教師にとってはねらいになります。ねらいとは指導の目標なんですけど、子どもにとっては学習のめあてなんです。よく高木展郎先生が「評価の闇討ち」っておっしゃるんですけど、先生は期末などに評価をしますでしょ。授業では気持ちを中心に訊くことをしているのに、評価は自分の感想を持てたか、になる。自分の感想を持つ授業はやってないのにね。

 

「書くこと」の大切さ

インタビューの様子永池  子どもたちには、「自分はこう感じたけど、○○君はこう言っていて、それは発見だったな」ということを、1日振り返って日記にして書かせてストックさせていく。そうすると、友だちと話し合うこと、友だちがいることの楽しさがわかるし、最初はこんなことしか発見できなかったけど、最後の方ではこんなことを発見できるようになったとわかります。子どもにも自分の成長(変容)が見えますでしょ。出来るようになった自分というのがそこに表れるわけですよね。わかるようになった自分、出来るようになった自分を見せていく。それが子どもの学ぶ意欲につながっていく、と私は思うんです。自己肯定感ですよね。そのためには、書くことって大事ですね。読解力のベースには書くこともあると私は思うんですよ。

 この前、中央図書館の館長さんが本町小学校に来られて校長先生と一緒にお話した時に、フィンランドの読解力の話になりました。中央図書館としてはあちこちの学校と連携を組みたいんだけど、たくさんの学校を引き受けてもやっぱりおろそかになります。本町小学校とは歩いてすぐの距離にありますから、教育課程の中に位置づけて、子どもたちを連れて行くということを今年からやっているんです。その中で館長さんが、子どもを読書にいざなっていく時に、その前提に書くことがあると思うっておっしゃるんですね。この方は学者さんで、理学博士・物理学者なんですが、書くことは大切だっておっしゃるんです。そうやって考えてみると、私たちの子どもの頃は今よりもよく綴っていましたよね。

 

「わかる」ということ 〜日々のノート指導から〜

- 書くという事は、極めて大事にもかかわらず、研究授業などで取り上げられないという現象がありますよね。公開研究授業そのものは非常に多くやられるようになり、10年ぐらい前と比べても非常に熱心ですよね。でも書くことを授業の中で見せる、というのはあまり聞きませんね。これはどうなのかなって思います。

インタビューの様子永池   日本の子どもたちが自分の考えを持てないこと、思考力をつけて判断して行動する力をつけるということを重要視してみた時に、日常の中で何を見つめて何を考えて書き綴っていくのかというのは、ものすごく大事な場なんですね。そう考えると、ノート指導なら子どもは日々ノートをとっていますから、教職員は誰だってやれることですよね。ノートに自分の考えたことを書くであるとか、自分のわかったことを書く、やりたいことを書く。これを位置づけて、全教職員で取り組むんです。これからの時代の学校には、申し訳ないですけど大村はま先生のような崇高な方が一人いても駄目なんです。学校がひとつのチームとして、教職員が小学1年でやって、2年でやって、3年でやって…と積み重ねてやっていかないと、説明がつかないんです。これはやはり流行ですよ。時代が変わってきていますよね。不易と流行と考えた時に、昔は大村先生が一人いればよかったかもしれないけど、今はどの教師もある程度できないといけない。ノート指導の「書くこと」というのは、どの教師もやれるわけですよね。「何を書けばいいの?」と聞かれたら、「友達から感じたことが面白かった。だから僕はこうやりたい。」とかね。大村先生が「わかるってことは足りないことがわかる、やりたいことがわかる、この2つだ。」とおっしゃったんですね。自分はこれが出来ないんだ、っていうことがわかる。やりたいことが生まれる、これがわかるということです。

- 喜びですね。いろんなものを知りたい、触りたい、ってなりますね。

永池   日本の子どもたちにとって必要なのは、学ぶ意欲ですよね。これは世界で最下位だったんです。これは大変なことですよ。私たちが子どもたちのノートを見たときに、日記が綴ってあって、友達からこんなことを聞いて面白かったとか、次は僕がこういうことをやるんだという言葉があるかとか・・・教職員みんなが見ていきながら、それを書けるような授業にして行こうと思うんです。まさしくチームですね。これは主任の先生とか若い先生がいても出来ることなんです。

- 逆にやりやすいんじゃないですかね。よく見るのは、クラスに4、5人の活発な子どもがいる一方で、他の子は言葉で伝えられる力がついていない。そういう子にはまず書かせなきゃ駄目ですよね。その子が何を書いているのかということを、評価して褒めてあげて、それをクラスの中に広げてあげるということですよね。「すごいじゃない!そんな考えを持っているの!」ってその言葉で、その子は救われますよね。

 

「書き方」の手引を

インタビューの様子永池  本町小学校では、1年生を持った先生が、子どもたちに「2年生にお手紙を書こう。」と言う試みをしたんです。子どもたちが書いている姿を見ることによって、子どもたちに日記など日常的な文章を書く力がどれくらいあるのかを見ようということだったんです。「○○しました。おもしろかったです。」「××しました。たのしかったです。」というような状況です。書けていないんです。事実プラスおもしろかったです、たのしかったです、なんですね。そこで「たのしかったです、おもしろかったです、を使わないで書きましょう。」と子どもたちに教えましょう、としました。すると子どもたちは、その言葉を使えないから取材をするようになるんです。でも子どもは取材を取材方法を知らない。教えていないからですね。ただ書きなさいっ言っても子どもは書けないんです。「観察カードを書いたね。絵も描いたね。じゃぁその観察日記を見てみたら?その時の楽しかった気持ちが拾えるかもしれないね。もう一度観察カードを見てみようか。」と取材方法を教えるわけですよ。本校では縦割り活動の一環としてみんなで出掛けたことがあるんですが、その時の写真を見たんです。すると、あの子がこう言ったよ、ああ言ったよ、ということを思い出すんですね。そうなると「じょうきゅうせいの○○さんがこういってくれて、わたしはこうこたえて、うれしかったです。」と会話文を入れることが出来るんですよね。「うれしかったです。」をつけてもいいんです。もっと内容を膨らませていくということが大事なんですね。そんな経験もあり、写真を見るのもいいんだね、観察記録を持ってくるのもいいんだね、となります。すぐにはみんな書けないんですよ。最初から書けたらいうことないんです。書くときには材料を集めなくちゃいけないんです。材料を集めるためにはどういう方法がありますか?取材という方法がありますね。私たちが大人になって社会に出た時には、原稿用紙やメモを前にして取材しますよね。取材しながら大事な一節を入れ、自分の考えを入れ、解釈して書いていきますでしょ。それが一連の書くことのプロセスなんです。

 文章を書くとき、「うれしかった、たのしかった」で止まっている子どもたちの学力の状況、停滞している状況を教師が見て取って、その言葉を外しなさいとまでは言わなくても、子どもたちに取材する方法や、それに代わる言葉を提供しながら進めていきます。あるいは逆の場合もあります。大村先生はそうですよね。「この言葉を使って書いてごらん」、「次はこの言葉を使ってごらん」とやるわけですよ。この言葉を使うことで文章が変わりましたねって。すると次に書くときに、その子はそういう言葉を使うと思うんです。決して教え込みじゃないんですね。

- 出合った言葉を自分のものにしていくということですね。その言葉を自分のものにすれば、応用的に他にも広がっていくんですね。

 

「教えること」への誤解

インタビューの様子永池   教えることの誤解というのが2つありましてね。1つは、滔滔と知識を伝授することを教えることだという誤解。もう1つは、子どもたちが主体という名のもとに、教師は後ろに下がっていることが教えることだと思っている誤解。この2つは似たタイプなのかもしれません。本町小学校の『教えて考えさせる』ということでやっているのは、先程の「おもしろいという言葉を取ってみなさい、うれしいという言葉を取ってごらんなさい、そして他の言葉では何があるかな。こういう時にはこういう取材の仕方がありますね。やってごらんなさい。」と導いていくことです。そこで子どもたちに何を獲得させるか。『教えて考えさせる』ということです。

- そういう考え方を先生方に行き渡らせるというのは、大きな課題ですね。国語科だけの課題ではなく、科目を横断して考えていく必要がありますね。

永池   「教える」という言葉の誤解をきちっと払拭しなくちゃと思うんです。そういう意味では、総合学習や生活科が生まれたことは最高だったと思っているんですね。原点に立ち戻って、見えてきた部分というのがありますから。東京大学の市川伸一先生(注1)は探求型・習得型とおっしゃっています。探求的なものが色濃く出るのが生活科・総合学習の時間です。そして教えることは教える。教えてスキル的にやっていくのが習得型。国語でも知識型・活用型とありますよね。漢字を定着させていくためには、その場(授業の中)だけじゃだめなんです。日常の中でいかに活字に触れさせていくかということまで導いていかないと子どもには定着していかない。スキル的に繰り返しやっていくものと、豊かな生活科のように探究をしていくものがある。これは両輪で、どっちがどっちというものではないんです。

 往々にして教師の間で「教える」という言葉に誤解があって、後ろに下がっているということをよしとする意識があるんですね。でもそうじゃなくて、子どもたちに「考えさせるために何を教えるのか」ということにこれからは踏み込んで行きたいな、と思いますね。やっている教師たちも楽しくなると思うんですよね。子どもたちにとって学ぶ喜びっていうのは、学んだことが役に立つ時、自分の力になっていると思うときです。おとなも子どもも、新しいものを知るって楽しいことですよね。わくわくするというか。どういう風になっていくんだろうとかね。

 

「チーム力」を育てる 〜「チーム本町」 本町小学校での取り組みから〜

永池   子どもたちは、力を合わせていくことの大事さとかを学んでいくのも学習だと思うんですね。同じ文章だって、○○君はこう感じていた、でも自分は違うことを感じていた。まさしくそういうのが人と力を合わせていくというようなことにつながっていくでしょうしね。

  この夏、教育ソリューション(2006年7月開催 日本教育新聞社・主催)に参加しました。その中でフィンランドの教育センター長であるヘイッキ・マキバー氏がおっしゃっていましたよ。九州地方で起きた洪水で、日本人が力を合わせて救助活動をしている映像をテレビで見て、「フィンランドではああいうのがあるだろうか」と。まさしくみんなが力を合わせるというのは、日本人のいいところですよね。日本の教師は自信を持っていいと思います。授業研究など1つ、2つの突破口を元にね。この学力は、実際の生活でどのように役に立つのか、と考えてみる。その視点でいいと思うんですよ。あるいは「私はこういうことをやっているんだけども、それとこれはどうつながるんだろうか、他の学習にどう生きるんだろうか」ということを先生たちの中でディスカッションしながらね。「じゃぁ、ここを工夫してみましょうか」という取り組みは、一人の教師がやるのではなくて、チーム力がものを言います。本校では「チーム本町」って言っていますけど、様々な良さを持った教職員が1つになっていろんなことを議論しながらすすめています。国語科だけじゃなく、理科に長けている先生がいれば社会に長けている先生もいる。そうした状況が大きな力を生むのです。

 

コミュニケーションのためのスキルを

インタビューの様子永池   これはフィンランドでもそうなんですけれど、本町小学校では、子どもがコミュニケーションを図れる相互作用のスキルというのをきちんとやっています。それは何かというと、「話し方」「聞き方」です。どうやって話しますか、どうやって聞きますかということです。本校の子どもたちを見ていただきたいと思うんですが、ものすごい静寂な中で人の話を聞きますね。これはすごいです。読み聞かせをやっている時など、様々な状況の子どもたちがいるんですが、本当に聞き浸っています。そういう話し方、聞き方…自分の考えをどういう風に相手に伝えるのか。「対話ではどういう風にやりますか」「4人で話し合うときにはどういう風にしますか」「4人で話し合うときにはどう司会しますか」「誰が記録しますか」「記録は1つにまとめるんですか、2つですか、3つですか」。そういうことを本当は教師がきちっと教えて行かなくちゃいけないんです。話し合いを始めるとき、すぐに「話し合ってごらんなさい。」と言ってしまいますが、子どもたちは話し合えないです。話し合いを記録するというのは、「○○さんが言ったこと、△△さんの言ったことそれぞれの大事なところをメモにとるんですよ」と教えます。メモをとるには、中心点を聞けてないとメモが取れませんからね。実際に話し合いの中で記録を担った子というのは、その人の言いたいことの中心点を書いていかなくちゃいけない。だから、よーく聞き取っておいて書くわけですね。そういう時には鉛筆を持たせないでマジックペンを持たせるんです。すると文字が少ししか書けないから、ダラダラ書かないでしょ。書く内容を選ばなければならないんです。紙の大きさはどの程度にするのかも重要です。大きい紙を与えないで、適度な枚数を渡します。「これだけだからね。マジックで書くんだから、よーく話を聞いてて、大事なところを書かなきゃいけないね」、「4人で力を合わせるためには、記録の役割って大事だね」と言葉を添えて子どもに渡します。「司会者はどういう風にやるの?」それだって手引きが必要なんですよ。それぞれの力が相互に発揮された時に、グループの考えがひとつにまとまっていくんです。「この考えは同じで、これは違って、それぞれの考えを2つ並べて」というように。今日はどこのグループが報告をするのか、(あるいは全グループが報告するのか)そんなこともきちっと決めた中で、子どもたちが話し合いの場を持つんです。何も決めていない中で、すぐにグループになって話し合ってごらん、とやるでしょ。大村はま先生は、話し合いをする際に子どもたちの座るポジションまで決めていましたものね。話し合いの力を高めるためには当然なんですね。我々はそこまでは出来ないですけど。

 

最後に 〜現場で指導にあたられる先生へ〜

永池   某教育カウンセラーの先生が、「教師という人たちは子どもがいると果てしない力を発揮する人たちだね」とおっしゃっていました。こういう時代でしょ。「教えること」以外にも、教職員というのは子どもの防犯防災に関わって神経を使う。本当に疲労困憊しているんですね。そんな中で、それでも果てしない力を発揮しようとする、そういう人たちが教師になっているんだろうな、って私は思うんです。だから心を弱くしないで、自分の人生の手ごたえとして志気を高めていって欲しい。それが教師という専門職だと思うんです。そういう取り組みの素晴らしさっていうのが、他の方への勇気になっていくだろうなって思います。

- 大変貴重なお話しを聴かせていただきました。これを読んでくださった先生方にとって大きな励みになると思います。どうもありがとうございました。

2006年9月8日 横浜市立本町小学校 校長室にて  


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  平成18年10月27日(金)
  平成18年度 横浜市立本町小学校 研究発表会 案内
 
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注1:
市川伸一(いちかわ・しんいち) 東京大学 大学院教育研究科 学校教育開発学 教授

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