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 PISAの学力調査の結果を受け、次期指導要領では「読解力」をキーワードに大きな改定が実施さると云われています。従来の国語科の中で行われてきた「読解力」指導と「PISA型読解力」とはどう違うのでしょうか。子どもたちの学ぶ意欲を向上させる指導の術はそこにあるのでしょうか。
 今回は、横浜市立本町小学校(大平力校長)の副校長、永池啓子先生にPISA型「読解力」をテーマとし、フィンランドの教育事情、また大村はま氏の実践例等を交え、同校の取り組み方から、その指導のあり方をわかり易くお話して頂きました。

 
Profile
  永池啓子(ながいけ けいこ)   神奈川県横浜市本町小学校
永池啓子先生 近影
昭和31年生まれ。長崎大学教育学部を卒業。横浜市立末吉小学校に始まり、横浜市教育センター研究研修課指導主事、横浜国立大学附属教育実践センター客員教授等を経て、平成18年4月より横浜市立本町小学校副校長。平成15〜16年に国立教育政策研究所「評価基準の作成、評価の工夫改善のための参考資料」作成委員、平成17年には文部科学省特定課題分析委員も務める。論文として、「第32回全国学校図書館研究発表大会」(平成12年)「横浜市教育委員会 教育課程研究協力校(全体計画)」(平成11・12年)等がある。

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■Vol.05 横浜市立本町小学校 副校長 永池啓子先生のスパイス(1)

PISA型「読解力」 その指導のあり方、考え方 @
(聞き手:次世代教育事務局 齊藤・加藤)

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PISA型「読解力」(Reading・Literacy)とは、
『自らの目標を達成し、自らの知識と可能性を発達させ、効果的に社会に参加するために、書かれたテキストを理解し、利用し、熟考する能力』(文部科学省・2007年「読解力向上プログラム」たたき台より)と定義されています。


  「読解力低下」の背景として

インタビューの様子 永池   まず最初に、日本の子どもたちの学力状況についてですが、非常に二極化しています。読解力の分野ではPISAショックと言われていますが、PISAの読解力調査テストは、知識や技能を実生活に生かす力を求めるものでした。まさにこれは現行の学習指導要領が狙っている「生きる力」「確かな学力」「豊かな心」をはかる調査だったわけですね。だから、PISAショックと言われるわけは、実は現行指導要領で求めている力が低下の傾向にあるとわかったからなんです。この結果は国全体が真摯に受け止めなければいけないことだと思います。その中でも非常に懸念されたのは、子どもたちの学ぶ意欲が衰退していることでした。つまり、無回答が非常に多かった。自分の考えを聞かれると、一気に書けなくなる。この学ぶ意欲が落ちているという現象は、これからのことを考えると非常に危機的な状況にあると思うんです。それがいわゆるPISAショックということですが、私たちはこれまでの授業の反省をしなければいけないし、つけたい学力が本当についているのかを見る必要があったんだろうと思います。
 

旧課程の実施状況調査からわかること

永池  ここに平成13年度版なんですが、現行の学習指導要領に向けて、子どもたちに旧課程の実施状況調査をした結果報告があります。小学校における「国語」を学ぶ意欲に関しては、今後の指導を考える上で示唆に富んだ結果が出ています。

Q1.どんな国語の学習が好きですか。

1位:漢字の読み書き
2位:辞書で調べること
3位:みんなで話し合うこと

Q2.どんな国語の学習が嫌い(苦手)ですか。

1位:説明的文章(説明的文章に関連したもの)を読むこと
2位:文学的文章を読むこと


永池
  「好き」の1番は、漢字の読み書きでした。漢字の読み書きというのは、自分が練習すれば成果が顕著に出てきますよね。2番目は辞書で調べること。これはどうしてかというと、学習方法がはっきりしているからです。つまり、子どもたちは自分のやったことが確かな力になっているとか、学習方法が明確にわかればやろうとするんだなということがわかります。私たちの授業の反省として、子どもたちの「国語は何がわかるようになったかちっともわからない」という点が改善されれば、子どもたちは国語科を好きになるんだ、ということが見えてきますね。それから3番目が話し合うことでした。お友達と何かを話し合うというのが、子どもたちは国語科の学習の中では好きなんです。「教師対子ども」という関係も授業にはあるけれども、「子ども対子ども」の関係の中で授業が成り立っていくこともあります。大村はま先生は、盛んに子どもたちに話し合う力をつけて、グループ学習を多様にやっていかれた。それはなぜかというと、「教師対子ども」の関係があり、それを受けての「子ども対子ども」の関係をどうやってリンクさせていくか、という視点が重要な学習の要素としてあったんだろうと思いますね。何よりも子どもたちが、話し合うのが好きと言っているんですから。この調査結果の、子どもたちが国語科の授業が好きと思える要素の中に、私たちが国語科の授業で改善していかなければいけない大切な要素が含まれているのではないかと思います。

 それとは逆に、子どもたちが感じている嫌いな国語の学習ワースト1は、説明的文章、それから説明的文章に関連したものを読むことでした。これは教師も想定していたんですね。説明文になると、子どもが一気に意欲をなくしていく…。これは教師が授業の中で経験し、目の当たりにしていることだと思うんですよ。しかしワースト2の文学的文章、物語文を読むことは、教師の予想と大きくずれがあったんですね。教師は、子どもたちが物語を読むのが好きだと思っていたんです。現に教師のアンケートでは、子どもたちは好きだって答えているんです。ところがふたを開けてみたら、子どもたちは嫌いだということがわかった。

 加えて調査でわかったことは、子どもたちが、自分たちの考えを聞かれると急に書けなくなるということです。何が書いてありますか、って聞かれると答えられるんです。内容解釈はやっていますからね。しかし、あなたはそのことについてどう思うの、どう考えるのと聞かれると、もう全然書けない。これが今の日本の子どもたちの実態ですね。

 

「国語の授業」が抱える問題点

インタビューの様子永池   去年一昨年と2年間横浜国立大学の客員教授として入っておりましたが、その時、大学の国語の先生からこんなお話を聞きました。国語科の教授が講義をしていると、先生のそばに集まる集団と、遠くに取り巻く集団がいると。その「壁の花」になっている人たちに、どうしてあなたたちはもっとこっちに来ないのかって訊くと、国語が嫌いだからって言うそうなんですね。どうして嫌いなんだって訊ねると学生たちは、物語だっていうと先生は決まって“気持ち”“気持ち”と、気持ちのことばっかり訊くと。どこの先生だって、小学1年から授業の中では気持ちを訊いていますものね。スイミーの気持ちは?カエル君の気持ちは?…。訊いてもいいんですよ。でも一生懸命手を挙げて、こうじゃないかああじゃないかと発言すると、先生はそうだねそうだね、と頷くばかり。子どもは、何が正しくて何が不正解なのかわからず、先生が板書したものがどうやら正解なのかしら?と思ったまま授業が終わってしまうのです。国語の授業は、結局何がわかるようになって何がわからないのかがわからないから嫌いだということを学生が言っています。その話を聞いたときに、実は自分の原体験としても、国語というと決まって気持ちを訊かれてたな、という思い出があって、そこに大きな授業の改善ポイントがあるなと思いました。

 そのあと、国語の授業が好きだという学生さんのひとりに、私は直接話を聞いたんですね。その学生さんは同大学の大学院に行っている女性の学生さんだったんですけど、彼女はどうしても国語の先生になりたいといって大学院に来ているんです。どうしてそんなに国語科の先生になりたいのと訊いたら、小学校で受けた授業が忘れられないからだというんです。どんな授業を受けてきたのかを訊ねたら、それは忘れもしない『くじらぐも』(光村図書・小学1年下巻)だったと言うんです。1年生のときにクラスみんなで屋上に行き、雲に向かってみんなで声を揃えて音読したんですって。「一、二、三、ジャンプ!、くじら雲に飛び乗れるだろうか」って。大きな声を出して日本語のリズムで「一、二、三、ジャンプ!」というのが何とも美しくて…。日本語のリズムを感じたり、友達と声を出して一緒にやったりということが、その学生さんの心に残っていて楽しかった。そういう授業がやりたくて、こういう授業が出来る先生になりたくて目指しているんだと言っていました。これ、学ぶ意欲でいうとね、将来の仕事までを決めていく授業体験なわけですよね。両極端な例をあげてあえて極論しているんですが、私たちは、自分が受けてきた授業をひとつの基準として授業をしてしまうことが多い。でもいろいろな部分で開発をしていかないと、手立てが講じられなくて、授業はワンパターンに陥ってしまいます。そこに、もっと子どもたちが興味を持つような授業改善をしていくための重要な要素が含まれているんじゃないかなと思ったんです。では実際に、文学的文章における“気持ち、気持ち”を問う授業を、どう変えていったらいいのでしょうか・・・。

 「教科書1冊分の情報量は新聞1日分」という誰かの箴言があるそうです。私はそれを又聞きしたんですが、そういう話を聞くと、1冊しかない教科書の詳細を輪切りにしながら1年間かけてやっていくのは少し違うと思うんです。例えば、1つの物語があったら、そこを突破口にして子どもたちを進んで言語に触れさせていく、いざなっていくのが授業だと思うんですね。例えば『ごんギツネ』。「悲しかったね、死んじゃったね、青い煙の中にはそんなものがあったんだね、そうだね」で終わってしまったら、それで終わりなんです。内容解釈の学習としては、クラスでいいことを話し合ったかもしれない。しかしそこから、子どもたちがもっともっと読んでみたいよとか、新美南吉の他の作品はどうなんだろうか、という方向に持っていけるかというところが大切なんです。現状は、往々にして盛んに内容解釈に埋没してしまっているのではないでしょうか。

 

日常で使える「読む力」を 〜「エルマーシリーズ」を使って〜

永池  現行の学習指導要領は、決して内容解釈だけについて書かれているわけではないですね。少し具体的に、実践的なお話をさせていただきます。例えば光村の小学校3年生(平成12度版3年生上巻)。読書をいざなう単元として、『エルマー、トラに会う』(出典:エルマーシリーズ・福音館書店発刊)という教材があったんです。現行学習指導要領の3、4年生の中には、読書を狙った指導事項に、「子どもたちがいろいろな読み物に興味を持って読む」という一文がちゃんと書かれています。書かれているにもかかわらず、それが現場では実現されていないわけですね。エルマーが出てきたら、「さぁ、エルマーはどんなことをやったんでしょう。」「トラに会って何を思ったんでしょう。」と進めがちです。あらすじと内容の解釈、エルマーの気持ちがどうかを問う授業じゃなくて、いろいろな読み物に触れられるように発展すればいいわけですし、そこをねらって行くべきなんですよね。エルマーシリーズというのは3冊あるのですが、読みたくなる術を子どもは持ってないんですよ。本を持っても興味を覚えないから、エルマーシリーズに入っていかないんですね。例えば、『エルマートラに会う』とい教科書教材に出会い、それを内容解釈で展開したら、子どもは興味を覚えないんです。気持ちを問われたりあらすじを追うことには、もううんざりしてますから。だから子どもたちは「また?」と思うんですよ。これはファンタジーなのにね。

 日本の教科書は、説明的文章と物語文というしっかりとした2系列の筋があるんです。物語の系列を指導するにはどうやって指導していくか、説明的文章をどうやって指導していくかというのが、きちんとあるにもかかわらず、それが意識化されていないんです。これも極論ですが、ファンタジーの方は気持ち、気持ち、気持ちと訊いて、現実の話(説明的文章)の方では中心点や要旨を中心に指導をしているんですね。そこをひとつ突破口にして、授業の改善をして行く必要があるんじゃないかと感じます。

 今ここにエルマーシリーズがありますけど、絵の効果ってありますでしょ。それから目次の効果ってあるんですよね。私たちおとなは、日常生活の中でこの本面白そうかなという時、まずタイトルを見ます。(表紙の)絵はすごく大きな効果があって、それから目次を見たりしますよね。そして目次読みをするわけですね。それで自分のテーマに合わないものだと思うとはねたりもします。そういう目次読みであったり、斜め読みであったり、結論だけ読んであとは読まないとか、見出しだけ読んでいくとかね。それが日常で使われる「読書の力」ですね。

 

子どもたちを「読書」へと誘う要素

- 表紙からイメージを広げるとか、目次から何が書いてあるかを読みとるということですね。そこから世界が広がる。それまで学習してきたものを総動員させて中身を想像させるということですね。

インタビューの様子 永池  子どもはそれを日常的にやっているんです。子どもは本を見てるし、絵を見てるんです。そこから広がっていくんですね。例えば、子どもたちにエルマーの表紙の絵を指して、「何歳ぐらいの男の子に見える?」ということから入ります。そこで子どもが「中学年ぐらいかな」と言うとしますよね。その時は、何歳が正解とやるんじゃないんです。フィンランドは、どうして中学年と思ったの?どうして?どうして?というように正解を求めないんです。考えさせる、思考力をつけていくことがねらいなんです。たとえば子どもが、「ハーモニカを吹いているから。ハーモニカを習うのは3年生くらいだから中学年だと思う」って言うと、他の子が「なるほどねぇ」と頷くわけですよ。12歳だ10歳だと結論を出すんじゃないんですね。考えた根拠を語る「そのわけはね」「その理由はね」という理由を大事にしていくんです。それを全教職員が徹底して実行しているんです。これは国語に限ってじゃない。本町小学校でも現在、「どうして?」「何でそう考えたの?」という問いかけを大事にして行こうと、みんなで取り組んでいます。そうすると子どもも面白くなる、友達の発言にも耳を傾けるようになるんです。

 ひとつの絵を見ても様々なことを感じるから、子どもたちは友達の考えを聞くのは面白いんですね。本当にそうかなと思って、もう1回手にしてみる。要は手にさせればいいわけで、そこがこちらとしては狙いなんです。先程話の中で、「子ども対子ども」といいましたが、話し合いの場には様々な集団があるわけですよ。たとえば、エルマーだったら絵地図がついてますよね。余談ですが、フィンランドの教科書では、さし絵を描いた人と作者の関係をやるんですよ。エルマーシリーズの挿絵を描いているのはルース・クリスマン・ガネットさんというお母さんなんです。アメリカの挿絵画家ナンバー1と言われる方がお母さんで、お話を書いた人はその息子さんでルース・スタイルス・ガネットという方なんです。それこそ挿絵があるから文字があるというリンクなんですね。お話を戻して、エルマーには冒険地図(挿絵)があります。この地図には説明文がつくんですね。「エルマートラに会う」とか、「ライオンに会う」とか、「サイに会う」とか。どういうことをやったかというのが端的な短い文で書かれているんですね。それらをふまえて、お話の簡単なあらすじだけ聞かせておいた中で、「地図と目次、表紙の絵合わせをしてみましょう」とやるんです。絵合わせをした後に、その根拠を言わせます。そこが面白いんですね。「こういう理由だから〜」「この理由だから〜」と子どもたちは説明をしながらやりますでしょ。その後で「本当はどうだろうね」ってやるわけですよ。そして、教室のどこかにそれとなく本を置いとくんです。子どもって、「やるよー!」と言ってやると、嫌なんです。それとなく、どこか学習コーナーにでも本を置いておきます。「先生!エルマーシリーズがここにありました!」って子どもが言ったら、教師は「えっ?どこ?」とやるんです。事前に先生が当然仕掛けておくんですけど、「良く見つけてきたね。みんなに紹介してあげようよ。」と教師は言います。見つけた子どもは得意げなんですよね。自分が見つけてきたんだって。「みなさん、ぼくはエルマーシリーズがあそこにあることを発見しました!たぶん、○○君のわからなかった事があの本を読むとわかると思います。」なんて言うんですよ。それはもう自分たちの世界ですよね。「△△君、すごいねぇ。」って教師が言うと、その子はエルマーを自ら読んでいくんですよね。そういう流れを授業で作っていくんです。

 読解力を育てるという点では、連続型・非連続型テキストをふんだんに使って授業を行うことが大切です。PISA調査というのは、日常の中に題材があるんです。実際のパンフレットであったり説明書であったりについて聞いてくるような調査ですね。私は十何年か前に、また別の方法としてエルマーシリーズを授業で実践しました。その時は、挿絵と目次をまず読ませます。すると、だいたいのストーリーがわかる、って子どもたちが言うんですね。つぎに目次の中や挿絵の中から、シリーズで同じところ、「違うところ、共通することはありますか?」と聞きます。子どもたちは、「エルマーと竜は見つめ合ってるよ」とか、「だんだんくっつき方が近くなるよ」とか、「尻尾を丸めているけど尻尾を丸めるのは嬉しい時に丸めるんだよ」とか、「エルマーとポリス(竜の名)はすごく仲が良かったんじゃないかな」と話します。すると、その子はそういうテーマ性を持って、エルマーとポリスの友情をテーマにしてシリーズの3冊を読んでいくんです。読書の際に、よく教師はテーマを持って読みましょう、いろんな読み物をすすんで読みましょう、と言いますが、挿絵の効果とか目次の効果とか、子どもをいざなう要素はいろいろとあるわけですよ。私たちが本を探すとき、目次読みをしてつまらなさそうだとピッとはねちゃうし、これが書かれているのはどこかなって目次の中に探しますでしょ?これこそまさしく実生活・実社会の中での生きていく力。だからエルマーシリーズでは、挿絵のような非連続型の絵であったり、目次であったり地図であったり、そういうことから読めば、だいたいのお話がわかるんです。

 

フィクションとノンフィクションとの違い

インタビューの様子 永池  物語は読むだけじゃなくて、物語を自分で書かせることも大切です。そういう時には、ただ書きましょうでは不十分。何かをなさいという時、『〜しなさい』と言うのは簡単だけど、そこで手立てを打ってあげる。それがプロだ、というのが大村はま(注1)先生の言葉なんですね。それを授業の中で教えていない。そこに今の教育の実態があるんです。例えば、「主人公を一人作りなさい」そして「敵ではなくライバルを二人作りなさい」と場面設定をしてあげるんです。また、「出来事・ハプニングを1つだけ作りなさい」「それに向かってどう解決するかを設定してきなさい」と言うと、子どもたちは想像しながら物語を書いていくんです。自分の想像を蓄えていく場面設定をするんですね。まず最初にあなたたちが勝負するのは2ページだよ、と書かせます。短いページですと、言葉で勝負してくるんです。子どもたちに言葉を選ぶ必要が出てくるんですね。だからページ設定を1枚以内にするとか2枚にしなさい、というのは、とても大事なことなんです。段落構成の必要が出てきたり、問題がひとつしか起こせなかったり。つまり簡単に言葉を羅列しないで、ぴったり合う言葉を探す必要が出てきます。条件設定、場面設定をする中で、子どもたちにどう思考させるかということですね。先程申しましたように、ファンタジーを書くときの想像する力と、説明的文章の書き方―事例から事実と筆者の考えとを分けて解釈していく力、そして自分の考えを入れていく力―は違うわけですよね。小さい頃から2つは違うんだよと言っていかないと、混同しちゃってグチャグチャになっちゃうんです。

 フィンランドでは、小さい頃から、説明的文章と物語文の2系列をはっきりと分けて指導しています。例えば2枚の絵を同時に見せます。1枚目は写真で、「バスには男の子と女の子が乗っています」もう1枚は絵で、「こちらもバスですが、中には子どものウサギさんと子どものキツネさんが乗っています。両方とも子どもが乗っているんだけど、2つは違うよね」と話します。男の子と女の子が乗っているバスは、写真だから現実だね。そしてもう片方の絵を指し、こっちのウサギさんとキツネさんは作られたお話なんだね、と話します。お話の中には、フィクションとノンフィクション、つまりファンタジーという作られたお話と、事実(現実)のお話があるんですよ。現実のお話では、書かれていることを正確な言葉で理解する。そして事実をきちっと踏まえながら、そのことに対して自分は賛成なのか反対なのか、どう考えているのかということを子どもたちの中に育てていくんです。ファンタジーの方は違うんですね。ファンタジーは(想像だから)、いかに想像の世界を自分の中に思い描けるかということをやるんです。ファンタジーにはファンタジーの読み方というのがあって、自分の楽しみ方というのがあるんですね。現実の中にはフィクションとノンフィクションという世界があります。それらを正しく自分で受け止め、情報を取り出し解釈して、自分の考えを持ち発信していく力、それを実生活に生かしていく力を培いましょうね、というのが「読解力」なんです。これは正しく積み重ねられていく中で身についていくものですから、小さい頃からきちっとやっていくべきだと思いますね。

Vol.05 横浜市立本町小学校 副校長 永池啓子先生のスパイス(2)へ続く

 

2006年9月8日 横浜市立本町小学校 校長室にて

注1:
大村はま(おおむら・はま 1906年―2005年) 国語学者・教育者
1928年、東京女子大学を卒業後、長野県立諏訪高等女学校を皮切りに教壇に立つ。戦後は都内の中学校へ転じ、1980年(73歳)まで現職教諭として子どもたちの指導にあたった。作文・書くことの指導を中心に子どもたちの興味・関心・思考力の育成に勤める。
1963年に「ペスタロッチー賞」(広島大学主催)、1978年には日本教育連合会賞を受賞。定年後も「大村はま国語教室の会」を結成し、国語教育の向上に勤めた。

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